2007年10月19日金曜日

驚異の産業技術 ②ピンポン玉の作り方

 私の職場の会議室には、なぜか卓球台があります。その理由は…聞かないでください。
 つい先日のことです。早朝から始まった会議が昼過ぎにようやく終わり、疲れ果てた頭を抱えて、しばらくボーッとしているうちに、私一人が薄暗い会議室に取り残されていました。時計を見ると、もう12時半をまわっています。午後2時には得意先を訪問することになっています。急いで昼食を済ませ、準備をしなければなりません。私は軽いため息をついて立ち上がりました。
 書類の束を小脇に抱え、重い足取りでよろよろと出口に向かって歩いていると、「カサッ」という乾いた音とともに、靴のつま先で何か軽い物を蹴飛ばしたような感触がありました。ふと見下ろすと、床の上には割れて口の開いたピンポン玉が1個、転がっていました。
 私は何気なく、そのピンポン玉を拾い上げました。オレンジ色のピンポン玉は口が開いた上にひしゃげていて、まるで地面に落ちたホオズキの実のように見えました。中はもちろん空っぽです。0コンマ何ミリかの薄いプラスティック(なのでしょうか?)が微妙なバランスを保って、中空の球形を形作っているのがわかります。仔細に見ると、ピンポン玉には継ぎ目があって、度重なる使用の末、劣化して、そこからヒビが入って割れたもののようでした。
 ふだんなら、部屋の隅のゴミ箱にピンポン玉を放り込んで、それで終わりにしていたでしょう。しかし、会議でくたくたになった私の頭は、この壊れたピンポン玉に対して、感傷あるいは愛おしさとでも言うのでしょうか、一言では言い尽くせない複雑な感情を抱いてしまったかのようでした。その瞬間、天啓のように私の脳裡を素朴な疑問がかすめたのです。
「ピンポン玉って、いったい誰がどうやって作っているのだろう?」
 私は、持ち前の好奇心から早速調査を開始することにしました。即刻、午後の訪問予定をキャンセルし、1週間の有給休暇を取りました。足早にオフィスを後にする私の背中越しに、課長の悲鳴にも似た怒号が聞こえましたが、意に介せず、私は再び真実を捜し求める旅に出ることとなったのです。

 調査は当初、意外なほど簡単に終わりました。某大手スポーツ用品メーカーの広報担当に面会を求めて尋ねたところ、あっさり教えてもらえたのです。
 それは…。
 原料のセルロイド板を円形にくりぬき、加熱しながら半球状に加工、その半球状のものを接合して球形にする。その後、乾燥させてから表面を研磨して仕上げた末、検品して出荷するまでに数ヶ月を要するというものでした。
 驚いたのは機械を使用するにもかかわらず、完全な球体を作ることは難しく、それを基準にして4つの等級(等級は★の数で表わされ、最下級の無印から最高級は★★★なのだそうです)がつけられているという点でした。つまり、最初から意図的に様々な等級の品を作っているのではなく、完成品をふるいにかけた結果、高級品や廉価品が生まれているということなのです。
 担当者は、白髪頭に黒ぶちメガネをかけた痩せぎすの、もう定年真近と思われる温厚で誠実そうな紳士でした。忙しい身にも関わらず、懇切丁寧に私の質問に答えてくれ、おかげで短い時間ではありましたが、十分な手ごたえを感じることができました。
「いやぁ、今日は、いろいろ教えていただいて、すっかりお世話になりました。ピンポン玉に★印で等級がついていたなんて初めて知りましたよ。星3つなんてミシュラン並みですね」
 私は、担当者に冗談を交えて礼を言いながら、ソファから腰を浮かせかけました。私をドアまで送ろうと、すでに立ち上がっていた担当者は、背中を向けながら、ボソッと一言。
「まっ、そうは言っても、昔は4つ星まであったんだがねぇ…」
 何気なく呟いたベテラン担当者の独り言を私は聞き逃しませんでした。
「えっ?今何ておっしゃいました?確か、4つ星と…」
 いったん浮かせかけた腰を再びソファに下ろして、私は胸ポケットから、さっきしまったばかりの手帳を取り出しました。
「あぁ、聞こえてしまいましたか…。えぇ、4つ星。“幻の4つ星”のことですよ」
 独り言を聞きとがめられたことに特に悪びれる風もなく、担当者は気軽に受け答えしてくれます。
「幻の4つ星って…何ですか」
「ご存知ありませんか。う~ん、まぁ、無理もないですね。“幻の4つ星”を知ってるなんてのは、当社でも社長、専務と、あと2、3人ですからね。すっかり古い話になってしまいました…」
 担当者は遠い目をしながら語り始めました。
 かつて一世を風靡した日本卓球の黄金時代、そしてそれに寄り添うように、世界最高水準のピンポン玉を手作業で作り出していた男たちのいたことを。当時、彼らの作り出したピンポン玉は、世界の技術水準を軽く凌駕し、そのあまりの精巧さに★を4つ付けることが許されていたといいます。それがベテラン担当者の言う「幻の4つ星」なのです。しかし、世界の卓球界における日本の凋落とともに、いつしか男たちは姿を消し、伝説だけが残ったと言います。
「い、いったい何者なんですか?その男たちっていうのは…今でも、その技術は継承されているんですか?」
 私の矢継ぎ早やの質問を軽くいなすように、担当者はただ、ある場所を教えてくれただけでした。
「ここへ行ってごらんなさい。ただし、彼が消息を絶ってから二十年近くが過ぎています。今も生きているかどうかはわかりません。生きているとしても、かなりの年齢です。また、先方が会ってくれるかどうかもわかりません。何せ、世捨て人同然の身の上ですから…」
 そう語る担当者は、急に十いくつも老け込んだように見えました。
 私は、懇ろに礼を言って某大手スポーツメーカーを辞去し、教えられた場所を目指しました。
 日はすでに傾き始めていました。いくつか電車とバスを乗り継いだ末に、ようやく日暮れ前にたどり着いた場所は、関東近郊にある、旧国道沿いの寂れ果てた商店街の中の、とある建物でした。
 ここで出会った人物の口から、想像を超えた意外な真実が語られるとともに、私は信じられない光景を目のあたりにすることとなったのです。(以下、次回に続く)

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