2007年10月7日日曜日

驚異の産業技術 ①サンドバッグの作り方 その3

 小学校の体育館程度の広さの工場の建物の中には、年齢は様々ですが、いずれも工場長と同様に角刈り、浅黒く日焼けした肌、そして筋骨隆々たる数十人の男達が柔道着風の作業着を着て――と言っても、すでに上衣は脱いで上半身裸で、そして黒帯をきりりと締めて――整列していました。今までウォーミングアップでもしていたのか、全身にうっすら汗までかいています。「今日から現場に入ってくれることになった○○君だ。みんな、面倒みてやってくれ!」と工場長が紹介すると、男達全員が、両腕でガッツポーズのような構えをしながら「ウッス!」と一斉に答えて、私を迎え入れてくれました。
「よぉーし!挨拶が終わったところで、本日の操業開始!本日の製造目標はサンドバッグ、Lサイズ10個、Mサイズ20個だぁ。納期まで間がないぞォ!気合入れていけぇ!」
「ウッス!」
 男達は整然と持ち場に着き、その日の作業が始まりました。
 工場の中央には上質の革製の袋が下3分の1ほどを残してめくり下ろされた形で置かれています。そこに2人の男が、1人は大きなトンカチを持ち、もう1人は大きなダンボール箱の傍らで両手いっぱいの布切れを持ち、片膝をついて構えています。
 その回りを数十人のマッチョな男達が同心円状に取り巻き、中腰で脚を開いて構えています。そして、工場の隅には直径2mはあろうかという巨大な和太鼓が置かれており、向こう鉢巻をした1人の男がバチを持って構えています。そうか、あの和太鼓みたいな音はこれだったのか…。
 男達はいずれも無言で、緊張した面持ちで待機しています。静寂の中、次第に緊張感が高まるとともに、男達の肌が紅潮し、大粒の汗が噴き出して身体を伝って流れ落ちていくのがわかります。
 1分、2分、やがて、その場の雰囲気が臨界点にまで達したそのとき、「せいっ!」という掛け声とともに、太鼓の音が「ど~ん」と大きく響きました。
「ど~ん、ど~ん、ど~ん、ど~ん、ど~ん…」
 太鼓の音は次第に間隔が短くなり、最後に1回、大きく「ど~ん!」と鳴り響いたかと思うと、全員が一斉に「せいっ!」と叫んで、再び太鼓の音が「ど~ん、ど~ん」と一定のリズムを刻んで鳴り始めました。
 工場中央で構えていた2人の男達は、太鼓の音に合わせ、まるで餅つきをするかのように、革袋の中に布切れを詰め込み、大きなトンカチで突き固めるという作業を始めています。
 男達はと見ると、全員がその太鼓のリズムに合わせて、「うりゃあ!」「せいっ!」と交互に掛け声をかけながら、左右の拳を前に突き出し、一糸乱れぬ動きで正拳突き(というのでしょうか)を始めました。「これだ!これだったんだ!こうでなければ、あのサンドバッグの中に隙間なく布切れを詰めることなどできるはずがない!」
 私は驚きと感動を禁じ得ませんでした。それは何と美しく、驚きに満ちた光景だったでしょう。男達の眼差しは真剣そのものです。たくましい胸は汗に輝き、拳を突き出すたびに両の腕から汗が飛び散ります。そして、男達の輝く汗は、彼らの中心にあるサンドバッグに向かって放出されているように見えました。
 気がつくと、工場長が私の横に立って、「これが、わが社が世界に誇る最高の技術だ。男達の血と汗と涙が、サンドバッグに生命を吹き込むのだ。これがある限り、世界中のどのメーカーのサンドバッグも、わが社の製品には遠く及ばない」と熱く語ってくれました。心なしか、工場長の目は潤んでいるように見えました。
「さぁ、キミも行くのだ!彼らとともに、世界最高のサンドバッグを作るのだ!」
 工場長に背中を押され、私も男達の中に立ち混じり、いつしか陶然としながら正拳突きを始めていました。

 その後私は、1週間の工場勤務を無事勤め上げ、1か月分のバイト代をもらってQ社を後にしました。給料袋の中には、口止め料の意味もあったのでしょうか、思いの外たくさんのお金が入っていたことを付記しておかねばなりません。また、毎日数時間にわたる工場の仕事のおかげで、心なしか胸板が厚くなったような気がします。
 最終日に退勤する際、何も知らない工場長は、「キミは、なかなかいいモノを持っている。よかったら、これからも一緒に働かないか」と熱心に誘ってくれましたが、丁重にお断りしたのは言うまでもありません。(この項終わり)

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

面白かったです。本当に近い冗談なのか、嘘に近い冗談なのか、難しいですね。
私はサンドバッグを作りたいと思い、どうやって作ったのか知りたくなりネット検索後、こちらにたどり着きました。
同じ志を持った方がいらっしゃった事、うれしく思います。